鮫日記

男もすなる日記といふものを、スピッツオタクもしてみむとてするなり。

7日目:『君は太陽』スピッツ

 お久しぶりです。

 サボってました(正直)

 更新頻度に差があるのが特徴のブログと名乗ってるので許してください(笑)

 

 いつものコピペ

 

 こんにちは、またお会い出来て嬉しいです。

 初めましての方もこんにちは。初めまして、さめをと申します。

 この『鮫日記』は、日本のロックバンドの「スピッツ」が好きなだけの普通の女子高生の私が、徒然なるままに時々絵も挟みながら駄文を自分のペースで連ねていく…といった趣旨のブログです。「日記」と名乗っているのですが、毎日投稿を目指しているものではなく、書きたいときに書いて、自分のペースで投稿しています。

 周りの人より少しだけ日本語が好きな、スピッツオタクが綴っているだけです。歌詞の考察・解釈を中心にするブログではありません。日本語や日本文学を研究してる身(日本文学・文化の比較研究を行うゼミに所属しています)として、「ここがすごいんだよ!」「ここの表現が好き!」といったものをひたすらに書き綴る…といったものです。書き綴っていく過程で結局考察・解釈が出てしまうところは全然あるとは思いますが、その目的ではないので考察・解釈が読みたい方は別のブログへ飛ばれることをオススメします!

 また、他人の自己語り、妄想、考察、、、あたりが苦手な方はここでブラウザバックすることをオススメします。

 

 今回は、タイトル通り君は太陽

https://open.spotify.com/track/3VoiGEYdn0OWtYheBKBNjz?si=0WLhFCWyT9mYXaq3Njezog

 『○○スピッツ』はネタ出なくなりそうなので今回を機にやめました( ^ᵕ^)楽しみにしてた人がいたらごめんね🥺(多分いないよ)

 なぜ『君は太陽』にしたかと言うとですね!!

 みなさん、アレ、見ました?

 Spotifyまとめ!(遅い)

そう、こう言うことです。

 ちなみに私のスピッツの総視聴時間はですね、

 44,964分なんですけど……全視聴時間が45,944分なんですよ、、聴いてる音楽の98%がスピッツということ……1位スピッツ、2位草野マサムネ……正真正銘のスピッ厨(すぴっちゅう)名乗っても良いですよね?

 2023年1月〜11月29日までって、479,520分あるんですよ。その中で、Spotifyだけで44,964分スピッツを聴いていたんですよ。約1割ですよ⁉️もう生活の一部じゃん⁉️

 はぁ〜〜〜〜〜〜〜スピッツのいない人生とかもう考えられねぇ〜〜〜〜〜(大の字)

 小5までどうやって過ごしてたか思い出せないな、11年も何してた?

 知らなかったあの頃にはもう戻れない、大好き🫰🏻愛してる🫰🏻

 

 話戻しますね、

 私、スピッツの曲の中だと『群青』が1番大好きなんですね。なんですけど、なぜ『君は太陽』が1番聴いた曲なのかというと、、あの〜……実は思い当たる節はあってですね、めちゃくちゃ言いづらいんですけど(笑)、『君は太陽』を他界隈の推し二次創作カップリングのイメソンとしてその界隈で広めてたんですね、わたくし。そのカップリング、私、そのカプのパイオニア名乗ってまして、最近はカップリングに繋がる問題のシーン(褒めてる)がアニメ化もされたことで徐々に作品数が増え、ようやく世間が追いついたか……となっていますが、私がpixivの1件目の投稿者なほど過疎マイナーカプだったわけですよ。んで、よくあるじゃないですか!王道カプとかで!!『○○×△△イメソン‼️』みたいなやつ😭😭😭ヲレの推しカプでもイメソンやってよ〜😭聴きたい〜😭……と思ったんですが、私がやれば良いのでは?と(自己完結)

 まあ、それで、作品はありがたいことにそこそこの人数の方に見てもらえていたことから、同カプの方々にもスピッツにも沼ってくれたらなという布教も兼ねたお楽しみをしてたんですね……。私の推しカプはまじで君は太陽なんですよ‼️初っ端から、もう、あの……ね……、“「あきらめた」つぶやいてみるけどあきらめられないことがあったり”ってもう、まんま推しカプやないかい‼️🤦🏻‍♀️🤦🏻‍♀️🤦🏻‍♀️

 元々大好きだった『君は太陽』がもっと大好きになれた1年でしたね、推しカプは今年になって本誌でイチャイチャしてたので……(言い方)

 ……今日はその推しカプを語る場じゃないのでこれ以上は控えますが。

 

「あきらめた」つぶやいてみるけど

あきらめられないことがあったり

訳を知って なるほどそうかそうか

少ない知恵しぼって 小さくまとめたり

 コレ、すごく分かるじゃないですか。分かってても諦められないもの。自分じゃ力不足で、誰がどう見ても確実に無理だと分かってて、自分が一番分かってるのに、っていう。

 大学受験生なんです、私。偏差値だとか得点だとか、周りと比べて、自分と向き合わなければいけない時間が増えました。だから、なんだかすごく分かる気がして。いや、ようやく分かるようになれたと言うか。元からとげまるアルバムはとても私の中で大切で大好きなアルバムの1つなんですけど、ビギナーとか恋する凡人とかシロクマとかもそうですけど、すごくない自分の、自分なりの一所懸命っていうそういう風に感じ取れる曲が多くて。出会ったころから好きだったアルバムがもっと自分の中で確固たるものになれた1年でした、2024年は始まって3週間経とうとしてますけどね。

 話を戻すとして、とにかく、どんなにすごい人でも「自分」ってだけで謙遜するのは、すごいから謙遜するのではなくて、「自分」だから謙遜してしまうと思うんです、多分。やっぱりそうだと思います。人間って自分の良いところには気付きにくいと思うんです。それに気付いても何となく自慢っぽくて言いにくい。自分が他人だったら魅力的に見えるような部分が分からない。日本人は特に言われますよね。諦めなきゃいけないこと、無理だと思うこと、我慢しなきゃいけないこと、だけどどこかでワガママを言っている自分がいる。出だしから卑下したような謙遜したような「あきらめた」「少ない」「小さく」などのネガティブワードが羅列されるのは、きっとこの曲の主人公の「自信がない」状態なのだと思います。

 「自信がある人」ってすごく輝いて見えませんか。何をしていても、その人を見てるだけで自分もなんだか今ならなんでも出来るような気がしてくる、勇気がもらえる、そういう人を「太陽」と例えているのだと思います。その対比としてまずは暗い印象からスタートしているのだと思います。ずっとその場にあるカンカン照りの太陽よりも、真っ暗闇からの太陽の方が好きになるじゃないですか。だから日の出って綺麗じゃないですか、暗闇の訪れだから夕日が名残惜しいじゃないですか。不幸が続くから小さな幸せに気がつける自分がいるし、上手くいかないからこそ上手くいった時の喜びは大きい、この高低差、明暗の差、だと思います。だから結びは「理想の世界じゃないけど 大丈夫そうなんで」。

 

こぼれ落ちそうな 美しくない涙

だけどキラッとなるシナリオ

想像上のヒレで泳いでいくのだ

ヒリリと痛い昔の傷 夢じゃない

 私が『君は太陽』の中で一番大好きなフレーズはここですね。

 前々から言っててうるさいなと思ってもらって大丈夫なんですけど、ネガポジ組み合わせワードです。2つ以上の単語で構成されたワードので、その単語単語をネガティブな印象か、ポジティブな印象かどちらかと言えばどっちかと分類した時に、お互いに矛盾する存在となるように組み合わせた言葉です。つまるところ撞着語法に近い存在だと言えます。「美しくない涙」からの「キラッとなるシナリオ」です。「涙」は基本美しいもの、すなわちポジティブ(※気分の意味ではない)として捉えられます。「美しくない」と形容詞を添えることで、まずここで1つ目のネガポジワードが誕生します。そして、ここで「涙」が「美しくない」としてネガティブにしたところで、「キラッとなるシナリオ」を持ってくるんですよ。価値を落としてからの高騰、言葉に重みというか奥行というか、分かりますか、この一気に広がる感じ、完全にセンセーションというかフィーリングというか、もう、そう言う感覚の世界なんですけども。日本語の素晴らしさはここにあります。私が大好きなのはこの立体感です。だから撞着語法が好きなんです、なぜ?と聞かれても何か良い!としか言えないけれど、それを言葉にするために今は学んでいるし、これからも日本語を知りたいなって思います。

 

 ↑この前後の、

渡れない 濁流前にして

座って考えて闇にハマってる

愛は 固く閉じていたけど

太陽 君は輝いて僕を開く

(中略)

明日憧れの岸に たどり着けるよ

 濁流からの岸にたどり着く。川、"水"のイメージに統一されているところが好きです。中略部分の"涙"や"ヒレ"や"泳いでいく"もそうですが、やはり、"水"で統一されてるのが良いなと思います。水のイメージがあることで、シングルのジャケットのようなキラキラした雰囲気が広がりますよね。太陽を一番引き立てるのは海や川、湖…水が一番だと思います、持論ですが。やっぱりマサムネさんは水の描き方が上手ですね、一番好きです。

 

 今回はこのあたりでいかがでしょうか。私の、こんなただのオタク語りで、何か新しい発見なり楽しさなりを見つけて頂けたなら本望です。今回も楽しく草野さんが紡ぐ言葉たちの「ここが大好きポイント」をだらだら綴ったわけですが、ついでに日本語の魅力にも気付いて頂けたら最高に嬉しいです!

 

 「この曲、日本語オタク的にどう思っているのか知りたい!」みたいなリクエストや簡単な感想でも長文の感想でも…あればコメントして頂ければとっても嬉しいです。

【お題箱】(閉鎖している期間があります) http://odaibako.net/u/same_____29

 

 今回も最後まで読んで頂きありがとうございました!

5日目:"一人ぼっち"スピッツ―『涙』

 こんにちは、またお会い出来て嬉しいです。

 初めましての方もこんにちは。初めまして、さめをと申します。

 この『鮫日記』は、日本のロックバンドの「スピッツ」が好きなだけの普通の女子高生の私が、徒然なるままに時々絵も挟みながら駄文を自分のペースで連ねていく…といった趣旨のブログです。「日記」と名乗っているのですが、毎日投稿を目指しているものではなく、書きたいときに書いて、自分のペースで投稿しています。

 周りの人より少しだけ日本語が好きな、スピッツオタクが綴っているだけです。歌詞の考察・解釈を中心にするブログではありません。日本語や日本文学を研究してる身(日本文学・文化の比較研究を行うゼミに所属しています)として、「ここがすごいんだよ!」「ここの表現が好き!」といったものをひたすらに書き綴る…といったものです。書き綴っていく過程で考察・解釈が出てしまうところはあるとは思いますが、その目的ではないので考察・解釈が読みたい方は別のブログへ飛ばれることをオススメします!

 また、他人の自己語り、妄想、考察、、、あたりが苦手な方はここでブラウザバックすることをオススメします。

 

 

 今回は――『涙』

open.spotify.com

 選考理由としては、1日目:初めましてスピッツ―『空も飛べるはず』 - 鮫日記 でも書いたんですが、"間接的な"日本語が大好きな私が様々な修辞法(レトリック)の中で特に、特に大好きなのは「撞着語法」「暗喩」「擬人法」です。2日目:よろしくねスピッツ―『楓』 - 鮫日記 で、少し出した通り、私は、この3つにさらに加えるならば「反復法」「列叙法」「緩叙法」が好きなわけです。…『涙』での修辞法が、特に暗喩が、私的に…もう、ほんとに、えげちぃ〜ほど好みなんですよ!色んな雰囲気の暗喩があるとは思うんですけど、めちゃくちゃすんなりというか、とにかく大好きなんですよ。それを語りたく、5日目の『鮫日記』に選びました!

 そんな『涙』は、1992年4月25日発売のミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』に収録されています。聴けば余裕で分かるんですけど一応ね…この曲にはメンバーの演奏はありませんチェンバロなどの弦楽器と草野さんのボーカルで構成されています。

 

 

 初っ端ね、

君のまつ毛で揺れてる水晶の粒

本当は一人ぼっち

壁に書いた緑色のドアをあけて

広がる時の海

このね…「君のまつ毛で揺れてる水晶の粒」ってところよ!「壁に書いた緑色のドアをあけて広がる時の海」ってところよ!

 「君のまつ毛で揺れてる水晶の粒」は、多分、誰にでも分かりやすい暗喩ですよね。そう、涙です。ここに関してはそれ以外の解釈出来ないんじゃないかなぁと思います。小学校で暗喩って扱うっけ?まぁ、中学校では絶対に習った記憶があるぞ、「暗喩」。その、暗喩の例文として使えるレベルだと思うんですが!すごく、THE暗喩って感じ。

 私、日本語以外に心理学も好きで…というか、文学と心理は切っても切れない関係なので学んでく過程で好きになってしまったって感じなんですけどね笑。作家の生き様もほんと面白くて…人間って面白い生き物だなぁって。それに、私は絵を描くことが趣味でもあるので必然的に「色」というものにも意識を向けるわけですよ。だから、私は、心理学×色って面白いなってすごく感じるんですけど。「色彩心理学」って言うんですけどね。それで、歌詞に「壁に描いた緑色のドアあける」ってあるじゃないですか。このドアは結局何を表しているんだろうって考えたんですね。緑って心理学的には「リラックス」の効果がある色と言われていて、それは「自然回帰」の欲から生じた…な〜んて言われているわけなんですが。

 そして、日本文学において、ドアや襖など空間と空間を隔てていたものを開ける行為って、すごく意味を持つんですね。例えば、宮沢賢治の『注文の多い料理店』だったり、夏目漱石の『こころ』だったり…。日本は「ウチとソト」の文化なんて言われるんですけど、家や地域など自分との繋がり…所属意識みたいなものにあるものなんですけど、その結果、空間意識にも「ウチとソト」があって、国や村を"ウチ"、それより外が"ソト"みたいな広い区分から、家や自分の部屋など狭い区分もあるわけです。広く見れば"ウチ"でも狭く見れば"ソト"になったり…"ソト"っていうのは"穢れ"だったこともあり、そこから"距離感"意味したりするんですけど。まぁ、扉を開けて出るというのはウチからソトへ出ていくわけですから、文学的な表現においては心理的にソトに出ていく、つまり、自身の解放だったり、禁忌だったり、自分ではない"ソト"、"相手"の欲求などを意味している場合が多いのですが、心理と文学ってものすごく関係が深いと思います。そんなわけで、文学的には「扉」ってすごく大切な存在なんです。

 前情報はこれくらいにして、「自然回帰」の緑、自己の解放の象徴である「扉」…その先の「広がる時の海」。「壁に書く」という行為は自分で書かなければないわけですから、自分自身でそう決めたということになります。「本当は一人ぼっち」の主人公は、自分自身で扉を作って、自分自身で扉を開けて…という、行動全てに意志があります。自らの意志で行った行動の先にあるのが「時の海」です。私、草野さんが描く「海」像って、「各々が帰る場所」だと思ってるんですね。輪廻の場所。スタートの場所でもあって、ゴールでもある。「時」っていうのも良いですよね、何千年の人間の歴史には必ず海がありましたから。…そう解釈すると「死」がどうしてもチラつくんですよね……。

 

 そして、サビ部分なんですけども、

だけど君はもう気づきはじめるだろう

変わりゆく景色に

月のライトが涙でとびちる夜に

そして君はすぐ歩きはじめるだろう

放たれた魂で

月のライトが涙でとびちる夜に

だけど君はもう気づきはじめるだろう

変わりゆく景色に

そして君はすぐ歩きはじめるだろう

放たれた魂で

月のライトが涙でとびちる夜に

このね…「月のライトが涙でとびちる夜」っていう、この表現がとても、とても良いなって思うんですが!最高じゃないですか、これ。

 皆さん、泣いたことありますか?(唐突すぎ) んまぁ、ないって人はおそらくいないと思うんですけど。我々はオギャった瞬間泣いてますし…。この「月のライトが涙でとびちる」っていうのは、泣いている時の視界だと思うんですよ。いや、まぁ、「涙」ってあるんだからそりゃそうだろって感じではあるんですけども、、涙で目が潤んでいる時に、信号機でも蛍光灯でも何でも特に「光」を見ると、ぼやけるというか、放射状ではないんですけど、こう…縦にぺや〜〜っと(???)伸びるじゃないですか!気になったら、今あくびするなり目薬さすなりしてみたら分かると思うんですけどね、「ぼや〜〜」ほどぼかしは入ってないじゃないですか。「ぺや〜〜」って感じじゃないですか。「ぼや〜〜」よりもハッキリしてるぼやけ。…まぁ、擬音語が何かは置いといて、「月のライトが涙でとびちる」っていうのはそれじゃないかな!って思っていて。ここを、こう表現できるのはさすがだなぁと思います。「月光」と言わず、「月の光」とも言わず、「月のライト」。カタカナにすることで、カタカナが与える特有の硬さから滲み出る人工物感…無機質な感じ…。「君」という、生物特有の温かさとの、温度差がすごく良いなぁって思います。

 

 

 

 今回は若干短めではありますが、このあたりでいかがでしょうか。私の、こんなただのオタク語りで、何か新しい発見なり楽しさなりを見つけて頂けたなら本望です。今回も楽しく草野さんが紡ぐ言葉たちの「ここが大好きポイント」をだらだら綴ったわけですけども…笑

 ついでに日本語の魅力にも気付いて頂けたら最高に嬉しいです!

 

 「この曲、日本語オタク的にどう思っているのか知りたい!」みたいなリクエストや簡単な感想でも長文の感想でも…あればコメントして頂くかお題箱にでも入れて頂ければとっても嬉しいです。

【お題箱】 http://odaibako.net/u/same_____29

 

 今回も最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

 

 それではまたどこかで巡り会えたら。  さめを

4日目:"脱出"とスピッツ―『手鞠』

 こんにちは、またお会い出来て嬉しいです。

 初めましての方もこんにちは。初めまして、さめをと申します。

 この『鮫日記』は、日本のロックバンドの「スピッツ」が好きなだけの普通の女子高生の私が、徒然なるままに時々絵も挟みながら駄文を自分のペースで連ねていく…といった趣旨のブログです。「日記」と名乗っているのですが、毎日投稿を目指しているものではなく、書きたいときに書いて、自分のペースで投稿しています。

 周りの人より少しだけ日本語が好きな、スピッツオタクが綴っているだけです。歌詞の考察・解釈を中心にするブログではありません。日本語や日本文学を研究してる身(日本文学・文化の比較研究を行うゼミに所属しています)として、「ここがすごいんだよ!」「ここの表現が好き!」といったものをひたすらに書き綴る…といったものです。書き綴っていく過程で考察・解釈が出てしまうところはあるとは思いますが、その目的ではないので考察・解釈が読みたい方は別のブログへ飛ばれることをオススメします!

 

 他人の自己語り、妄想、考察、、、あたりが苦手な方はここでブラウザバックすることをオススメします。

 

 

 今回は――『手鞠』

 『手鞠』は、2023年5月17日に発売されました、17thアルバム『ひみつスタジオ』に収録されています。

open.spotify.com

 

 その名の響きと、主に少女の遊び道具だったことから可愛らしい印象を受けますよね。『手鞠』の草野さん、珍しく「可愛いね」とか「好きだよ」とか、直接的な表現を使っています。いつも遠回しの、間接的な表現なのに…急に…こう、直接的だと…ちょっとドキドキしちゃうだろ〜〜!!?!?…偶にくる直接的なとこ!!!好きです。大好きです。

 

 

 そんないつもよりも直接的に愛を伝えてる『手鞠』ですが、間接的な日本語大好き人間の私が好きなところは、やはり、

常識を保つ細いロープで 身体のあちこち傷ついて

感動の空気から逃れた日 群れに馴染めないと悟った

誰のことももう愛せないとか 決めつけていたのかも

その姿真似るよ

ここが好きです!!!

 そもそも手鞠(てまり)とは日本の伝統的な手芸品のひとつです。丸めた綿などを芯にして、その芯の上に「色糸」っていう細い糸でグルグルに巻き付けているんですよ。糸を巻き付けているだけなのに、繊細な模様が描けるのすごい技術ですよね。それに、カラフルでとても可愛いですよね。この模様のめでたさから飾り物としても使われていました。

 まぁ、物体としての手鞠については一旦置いといて、この、芯をグルグルに巻き付けている「色糸」「常識を保つ細いロープ」で、「芯」自分自身なんじゃ…って考えたらですよ、…「ロープ」で巻きつけられた身体。たとえ、巻きつけられていても暴れなければ身体の"あちこち"に傷はつかないわけです。ってことは、この主人公は暴れて、抵抗したわけですよね。何のために?…それは、「常識を保つロープ」から解かれるためではないでしょうか。その"ロープ"から解かれて、「感動の空気」から"逃れる"ため……この、ロープ=縛るもの=逃れる(解放)の繋がり…最高か???私はマサムネの連想ゲームが好きだって言ってるデショ!?!!?それに、「決めつける」も「思考に縛られる」とか「思考に囚われる」とか、"縄"としてのイメージもありますよね。イメージの連鎖…最高です(泣)

 

 そして次に、歌詞が一つ前に戻ってしまうんですけども、

自分を探す旅の帰りに 独りが苦手と気づいて

手に入るはずだった未来より 素朴な今にありついた

見栄張ってた頃の魂なら 近づけなかったかも

この指を伸ばすよ

…っていうこの部分なんですけど。

 「自分を探す旅の帰り」って、「帰り」って良いですよね。「途中」じゃないんですよ、これ。「自分探しの旅」って探し終わったらゴール!…って勝手に思っていたんですけど、たしかに旅行は家に帰るまでが旅行とか言いますもんね…自分探し終わったはずの後の帰りなんですよ!?いや〜〜センスの塊だな……熱涙すぎる。

 ちょっと、ここで「自分探し」の辞書的な意味を確認させて頂きたいんですけども…「自分探し」は、「それまでの自分の生き方、居場所を脱出して新しい自分の生き方、居場所を求めること(【出典】小学館/デジタル大辞泉)」という意味です。脱出です!そう、脱出なんです!!!んで、ですね、この歌詞の後に来るのが、先程語った「常識を保つロープで〜」のところなんですよ。"開放"の連鎖なの分かりますか!?1つのテーマが並んでるの好き…いや、大好きです。

 

 "解放"や"脱出"要素で言うと、

定められたストーリーにも 外側があるのかも

悪い夢溶かすよ

もそうだと思います。そう、この「外側」という表現です。「溶か」して出ていく…的な。そして、「外側」に加えて、「溶かす」の表現から、"繭(まゆ)"をイメージ出来ませんか?…私はそれを連想したんですけども、どうなんだろう笑。

 繭も「手鞠」のように、糸で、蚕が吐き出した糸(絹糸)でグルグル巻きですよね。繭は自分を守るためのものです。そして、蚕が成虫になって外に出る時、その繭を、糸を溶かして外に出るんですよ!溶かしてしまうと一本の糸にならなくなってしまうから、人間はその前に繭ごと茹でて糸にしちゃうんですけどね。…この、茹でられて大人(成虫)になれないまま死んでしまう蚕ちゃんたち…「定められたストーリー」って感じありませんか!?…糸にするために(死ぬために)育てられてますからね……もう決まってしまっている"運命"ってわけですよ。それに、茹でられてしまうのも、蚕の目線に立てば確実に「悪い夢」ですし。手鞠は芯に糸が巻き付けてありますが、繭は蚕に巻き付くというか囲うように巻いてあるので、それらを図に描いてみたら一発で分かると思うんですけど両者とも同じ図になります。中心部分と、外を隔てている殻っていう…。

 まぁ、あの、何が言いたいかっていうと、『手鞠』=中心部分が糸でグルグル巻き付けられている=繭=「溶かす」っていう…私が何より愛して止まない「草野正宗の連想ゲーム」が楽しめるぞ!!ってことです。最高。

 

 最後に、最初の方で「直接的だ」と言ったサビの、

可愛いね手鞠 新しい世界

弾むように踊る 君を見てる

可笑しいね手鞠 変わりそうな願い

自由気ままに舞う 君を見てる

可愛いね手鞠 新しい世界

弾むように踊る 君を見てる

好きだよ手鞠 清らかなせせらぎ

バレバレの嘘に笑う 君を見てる

可愛いね手鞠 新しい世界

弾むように踊る 君を見てる

これらなんですけども、韻の踏み方とっっっても良いですよね。「手鞠(temari)」と「世界(sekai)」と「願い(negai)」と「せせらぎ(se-seragi)」の"eai"の三重韻…聴いていてめちゃくちゃ気持ちいいですよね。こう、普段の草野さんの詞って、言葉のイメージの繋がり重視な感じで、そこまで押韻目立つタイプの歌詞じゃないんですよ…あ、いや、無いわけじゃ、ゼロっていうわけじゃないんですけどね、ちゃんとありますからね、なんか…これは、めちゃくちゃな主観かもしれないんですけど、草野さんの作る歌詞はそこまで押韻を強調してこないなぁと思って。押韻が目立つタイプの歌詞作られるなぁと私が思った方は…米津玄師さんとかですかね。元々ボカロで作詞・作曲やっていた人だからですかね〜…韻の踏み方がすごく印象的だなぁって思うんですよね。彼の言葉の使い方も私はすごく好きです。CDは、「良いな!」って思った人しか基本的に買わないんですけどね。ほら、今は普通にYouTubeとかで聴けるじゃないですか、だけど、米津さんは私が珍しくCDを買っているアーティストの一人なんですよ〜。

 「押韻」は、一定のリズムを作り、音の響きの心地よさみたいなものを出すための修辞法なんですね。手鞠がポンポン跳ねている様子って、やっぱりリズミカルじゃないですか。一定な感じで。だから、ここのこの押韻はすごく心地よいんだと思います。違和感がないから。「違和感」は人間の注意を引くので(※この「違和感」の効果についての詳しい話は前回の 3日目:わたしとスピッツ―『オバケのロックバンド』 - 鮫日記 で語ってるので省略します)、時にそれがとても良い効果を発揮する場合もあるんですけどね。でも、今回は、この"物"としての手鞠が作り出すリズムのイメージと「押韻」という修辞法を用いたこの歌詞からのイメージを合致させることでよりリズミカルさを感じる効果を生んでいるんだと思います。

 

 

 

 今回は若干短めでしたが、このあたりでいかがでしょうか。私の、こんなただのオタク語りで、何か新しい発見なり楽しさなりを見つけて頂けたなら本望です。今回も楽しく草野さんが紡ぐ言葉たちの「ここが大好きポイント」をだらだら綴ったわけですけども…笑

 ついでに日本語の魅力にも気付いて頂けたら最高に嬉しいです!

 

 「この曲、日本語オタク的にどう思っているのか知りたい!」みたいなリクエストや簡単な感想でも長文の感想でも…あればコメントして頂くかお題箱にでも入れて頂けたらとっっっっても嬉しいです。

【お題箱】 http://odaibako.net/u/same_____29

 

 今回も最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

 

 それではまたどこかで巡り会えたら。  さめを

3日目:わたしとスピッツ―『オバケのロックバンド』

 こんにちは、またお会い出来て嬉しいです。

 初めましての方もこんにちは。初めまして、さめをと申します。

 この『鮫日記』は、日本のロックバンドの「スピッツ」が好きなだけの普通の女子高生の私が、徒然なるままに時々絵も挟みながら駄文を自分のペースで連ねていく…といった趣旨のブログです。「日記」と名乗っているのですが、毎日投稿を目指しているものではなく、書きたいときに書いて、自分のペースで投稿しています。

 周りの人より少しだけ日本語が好きな、スピッツオタクが綴っているだけです。歌詞の考察・解釈を中心にするブログではありません。日本語や日本文学を研究してる身(一応、高校では日本文学・文化の比較研究を行うゼミに所属しています。…論文やらパワポやら発表準備に追われる背徳感の中で書いているわけですが笑)として、「ここがすごいんだよ!」「ここの表現が好き!」といったものをひたすらに書き綴る…といったものです。

 

 他人の自己語り、妄想、考察、、、あたりが苦手な方はここでブラウザバックすることをオススメします。

 

 

 前々回(初回)は、私とスピッツの出会いの曲――空も飛べるはず

 前回は、私がスピッツ沼を確信した曲――『楓』

 じゃあ、今回どうしようって思ったんですよね。無いわけじゃなくて、語りたい曲はもう本当に沢山ありすぎて選べない状況で…『楓』の次に聴いた曲とかメモしてれば良かったんですけど、そんなことしてるハズもなく。それでですね、この前Twitterでいつものように呟いた独り言がなぜか意外と反応を頂いたのでみんな見たいのかなっていう…まぁ勘違いでも良いや!という感じで…笑

 題名から分かりますが今回は、『ひみつスタジオ』から――『オバケのロックバンド』

 

 このFA、結構自分の中で気に入っています。色的にも、メンバーの表情的にも。華やかで可愛い感じになって良かったなぁと。

 マイクが自分のところに来たときにちょっぴり照れちゃう田村くんが最高に愛おしいなと…MV見る度にわ゛〜〜〜〜っと床でゴロゴロするレベルでその愛おしさに悶絶しているんですけども。そろそろいい加減に体も慣れてくれ、…慣れる訳なかろう!

 ニコニコに歌う﨑ちゃんも最高におキャワで…!蝶々のワッペンが付いてるお洋服良いですね、これ…すごく可愛い。いつまでもニコニコしていて欲しい。本当に﨑ちゃんがマ〜ジで癒やしです。何じゃこの可愛い生き物は〜〜〜〜……オタクが愛でますナデナデ

 草野マサムネの走り…いや、みんな走ってるの好きなんですけどね、特にです!特にマサムネの最後のあのダッシュが個人的にすごく大好きです笑。皆んなで歌えて楽しいねぇ良かったねぇと、スピメンの3分の1の年齢の癖してまるで孫のお遊戯会を眺める気分で観てるわけですが……意味が分からないのは私も同じなのでツッコまないで下さい。オタクあるあるだと思うんですけど、ふと我に返った時が一番困惑しますよね。自分の父親より10も上の、50代の男性になんで、どうして、「可愛い」なんて感情抱いてるんだろう………だって可愛いから仕方なくない?(自己完結)

 楽しそうに歌うテッちゃんのお声はちゃめちゃに好きですね〜〜カワイイ…地声から何となく想像はついていたっちゃついていたんですけども。このね、、見た目とのギャップね、最高ですね。もはや、イケてる仙人になりつつあるテッちゃんですが、声はとてもカワイイ。言動もカワイイ。オタクはギャップに弱いって、もう、何度言えば分かるの!!?(ありがとうございます)

 色々新鮮すぎる曲で最高ですヨネ…(泣)

 そんな、『オバケのロックバンド』は2023年5月17日に発売されました、17thアルバム『ひみつスタジオ』に収録されています。柔らかな黄色が印象的〜〜〜かわちぃ〜

 

 この曲は、「"君"と"僕"」ではなく、「"わたし"と"スピッツ"」って感じがするんですよね。二次元オタク用語で言うと、スピッチとスピッツの「イメソン」的な……最高ですね。あぁこれは、自分のために作られた、歌われた、演奏された曲なんだなぁと…勝手に信じてます笑

 

 MV語りで大分長引きましたが、それでは早速、日本語オタク的に草野正宗の詞の大好きポイントを今回も綴っていきます!

 

 なんたって私が一番大好きなところは、

少しでも微笑み こぼれたら

そのしずくで俺生きていける

、そう、ここです。何度でも言うが、私は草野正宗の連想ゲームが大好きなんです。

 「微笑みがこぼれたら」…「笑みがこぼれる」というのは普通にある慣用句です。「笑みがあふれる」もありますね。「こぼれる」も「あふれる」も「溢れる」という漢字ですが…歌詞は「あふれる」じゃなくて「こぼれる」。「あふれる」と言うと、お風呂に浸かった時に勢いよくザバーっとなるような、"多量"の液体が押し出される印象があります。それに対して、「こぼれる」と言うと、コップの縁ギリギリまで注いでしまったジュースを幼子が運んでいたらピチャピチャと床に…ヘンゼルとグレーテルのように、歩いた場所に点々と落ちていくなるような…まぁ、そんな、押し出されると言うよりは不意打ちに"少量"がはみ出たといった印象があります。「こぼれる」を使う時は器が固定されてないイメージがありますね…。「微笑み」もただの「笑み」に比べたら笑いの範囲は小さいですよね、そして少量の液体の落下である「こぼれる」。極限まで小さい表現をしているわけです。例えば、ピペットで少し、一滴。それだけでも「俺」は生きていけるわけです。

 「水」って人間が、生き物が生きる上で絶対に欠かせません。成人で、食べ物で接種する水分は除いて、2Lは必要らしいですよ。ピペットで一滴とは比にならないですよね。そんな、決して少なくない量が毎日必要なわけですけども、「君の微笑み」という水は一滴でもあれば生きていけるんだ、という誇張法が見られるというわけです…本当に微笑みだけで生きていけるわけないですから、水だって食べ物だって酸素だっていりますから(そりゃそう)…この「君」に対する気持ちの大きさが感じ取れます。

 「こぼれる」の漢字表記「溢れる」は、氵(さんずい)がついているので、言わずもがな"水"に関係している言葉です。この、「こぼれる」=水=「しずく」、という連想ゲームです。「こぼれる」は液体の"落下"という動作を表し、「しずく」は"落下"する液体という主体を表します。この繋がりが、ここが、私の中ですごくキてるポイントなんですよねぇ。

 それに、「こぼれる」の漢字表記は「溢れる」の他に「零れる」もあります。もちろん「零」も水関連の言葉です。「あふれる」は「溢れる」のみで、「零」を使うのは「こぼれる」だけの特権なんですよね。なぜなら「こぼれる」は少量だから。「零」という漢字自体には4つ意味があります。1つ目は「おちる、ふる、こぼれる」と言った「落下」を表すもの。2つ目は「おちぶれる」、3つ目は「小さい、少ない、わずか」といった体積の小ささを表すもの。4つ目は数字としての「ゼロ」。つまり、「零」は落ちる量の少ない「こぼれる」だから使える漢字というわけです!

 わざとなのかは分からないけど、ひらがな表記なのも、そういう草野さんの漢字遊び(今勝手に名付けました)から来ているのかなぁ、なんて…ね。

 

 草野さんが素でやっているのか、それとも意識してやっているのか、それは私には分からないですけど、

忙しけりゃ忘れてもいいから

気が向いたならまたここで会おう

この、似た印象を受ける言葉の羅列を効果的なところにしっかりと持ってくる辺りが私はすごく大好きなんですよね。

 似た印象というのは、「忙」と「忘」です。忄(りっしんべん)も、㣺(したごころ)も、「心」から成った部首です。もちろん「心」に関した意味を持ちます。…分かりますか…これ、「心」が「亡」くなってるんですよ、どちらとも。構成するパーツが同じだと、その文字から与えられる印象も同じ、もしくは近しくなると思うんです。

 ファッションでもイラストでもそうですが、同系色類似色でまとめると、その統一感から柔らかな印象になります。あまり主張しすぎないような…そんな感じですね。文学的な用語で言うならば「対句」、色彩的な用語で言うならば「補色」…異なるものを並べると大きく印象を持たせます。「対句」や「補色」は、自分を際立たせ、目立たせ、自分をアピール…強く印象を持たせたい時などに使います。「忘れてもいい」というのは、相手の印象に残ることから大きく離れています。忘れるんだから、離れているといより、むしろ反対。一種の遠慮みたいな、「二の次で良いよ、俺なんて」みたいな。だけど、わざわざ「忙しけりゃ」と条件を提示しているのだから、忙しくないのなら「忘れていい」わけではないんですよね、忙しくないなら忘れてほしくないんですよね、これ。同系の言葉の羅列と、「忘れていい」条件の提示を同時に行うことで、柔らかな、ささやかな、ちょっぴり弱気な、でもちょっとだけ欲望が垣間見える、そんな"主張"なんですよね。

 …Twitterではここの部分、「どちらも「心」が「亡くなる」である「忙」と「忘」が並んでるの非常に良すぎないか…」程度にしか呟けなかったので、私が思っていたこと、感じたこと、なぜそう感じたのかまでを全部書き連ねられるここは最高ですね。文才ある人ならまだしも、私がたった140字で書ける訳ないだろ…。ただ単に薄っぺらく「良いね!」だけじゃないんです…ちゃんと理由があるんですよ〜〜〜〜!!!!それを伝えたかった、本当に良かった〜〜楽しい〜〜最高〜〜!

 

 あとですね、

子供のリアリティ 大人のファンタジー

ここもね、対句になっていて非常に効果的ですよね〜。それに、「子供のリアリティ」も「大人のファンタジー」というここの修辞法…中島敦の『山月記』に出てくる一文「共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。」の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のような、…私が好きなタイプの撞着語法です。私は、中島敦作品では『李陵』と『文字禍』が好きなんですけど、『山月記』も大好きな作品です。高校の国語の教科書の採録作品なのでほとんどの方が読んでるとは思いますが…もう一度読んでみるなど…ぜひ!(布教) ⇨ 中島敦 山月記

 そんな、『山月記』の一節のように撞着語法と対句を兼ねて並べることで、一種類だけの修辞法だけでは得られない効果があると思います。とても印象的です。撞着語法と言っても、「負けるが勝ち」や「黒い光」ほど分かりやすく矛盾してる2語をくっつけてるって訳じゃないですけど、「子供のファンタジー」「大人のリアリティ」の方が、それぞれの言葉が持たせるイメージとしては違和感ないくっつき方ですよね。…その逆のくっつけ方をやっているわけです。撞着語法の良いところは人の興味をパッと引けるところにあるんですよね…例えば、こちらもスピッツと同じくらい有名ですが、「Mr.Children」ってバンド名も撞着語法ですよね。こんな感じに、撞着語法は、比喩などの修辞法と違い、聴き手や読み手が理解しやすくすることが目的ではなく(むしろ逆に分からなくなってるパターンの方が多い気が…笑)、人の興味を引かせたいところに持ってくる訳なんですけども、人間の脳みそって違和感があるところに反応してしまうんですよ。多分、撞着語法はそれを利用した修辞法(レトリック)なんですよね。

 この前(※結構前)、NHKの「歴史探偵」という番組でですね、長谷川等伯の回で、面白い脳の実験をしていたんですよ!人の顔の画像をあえて変形させた画像と何もしていない人の顔の画像を見比べて、その時の脳波を比較した際に、変形させた方だけ異常に反応しているんです!なんでも、その"違和感"に反応しているそうです。面白くないですか、これ…!、…まぁ、何が言いたいかっていうと、矛盾する複数の言葉を組み合わせることで生じる違和感から人の興味を引くんじゃないかなぁってことです。あくまでも私の仮説ですが…。

 

 歌詞が大分前に戻ってしまうんですけど、﨑ちゃんパートの、

木霊に育てられ 雷神にそそのかされ

なんですけども、ここも若干対句っぽいですよねぇ。撞着語法はないので、先ほどの「子供のファンタジー 大人のリアリティ」の「山月記対句(今勝手に名付けました)」ではないんですけども。"柔"と"鋭"って対比が良いですね。

 「木霊」は木の魂です。日本人にとって木はとても馴染み深いものであって、事実「山神信仰」が見られるように、古くから大切にされてきました。また、「木」が与える印象には「ぬくもり」といった温かさや柔らかさがあります。実際に温かさ(体温)を持ったものではないですが、熱伝導率が低いこともその印象を与える根拠の一つだと思います。

 そして、「木霊」に対しての「雷神」は、字の通り雷の神様です。「木霊」に比べると、断然「雷神」は尖ったイメージありませんか?おそらく、雷の、稲妻のあの形から多分その印象が定着していると思うんですけども…。「雷神」の対だと、やはり「風神」を思い浮かべがちですが、"柔"と"鋭"という対比を表すのならば「木霊」が一番良いのかなぁって思いました。

 この、「木霊」と「雷神」という「柔」と「鋭」の対比なんです!!ニコニコふわふわしてる﨑ちゃん。そんな﨑ちゃんが叩く最高にカッコい〜〜〜〜いドラム!!そのギャップと似た印象を私は持ちました!えへへ!可愛いよ!!かっこいいよ!!

 

 あと、テッちゃんパートの

暗闇に紛れて 冷たい旅路の果てに

壊れたギターを拾い 音楽に目覚めたオバケ

というところなんですけども、「暗闇」「冷たい」「壊れた」と"マイナス"の印象の言葉が続いた後の「目覚めた」。朝日が登るような、一気に光が広がるような印象を持つの分かりますか?夜明け、のような。良いですよね。トントントンと暗い系が続いた後に明るさを持ってくることで、そこが一気に華やかになるというか…一つの明るさに価値が生じます。ハイライトのような。ずっと、眩しい、直射日光でジリジリするグラウンドとか街中を思い浮かべて欲しいんですけど、その時に太陽に価値感じますか…今の季節だから余計に分かると思うんですけど、一瞬太陽消えてくれないかなとまで思いますよね笑。でも、例えば夜に山を登って、山頂に着いた時に地平線の向こうで輝く太陽を見つけたら、その光が下の自分たちが住む街を照らしていく様子を眺めたら…その太陽の光には価値を感じますよね。…それです。

 テッちゃん、ギターと出会う前に何があったんだい…いや、ギターと出会ってからがあまりにキラキラ眩しすぎたから暗く見えただけかな?

 

 個人的に、

良かれと思っても ことごとく裏目に出て

爆音で踊ってたら ツノが生えてきたオバケ

の、田村くんのパートがとても大好きなんですよね!いつもの「日本語的に」というより、1人だけ踊ってるってところが好きです!!…しかも、この微妙に褒めてないあたり…………塩ムネ……ご馳走様です笑

 

 

 

 今回はこのあたりでいかがでしょうか。私の、こんなただのオタク語りで、何か新しい発見なり楽しさなりを見つけて頂けたなら本望です。今回も楽しく草野さんが紡ぐ言葉たちの「ここが大好きポイント」をだらだら綴ったわけですけども…笑

 ついでに日本語の魅力にも気付いて頂けたら最高に嬉しいです!

 

 「この曲、日本語オタク的にどう思っているのか知りたい!」みたいなリクエストや簡単な感想でも長文の感想でも…あればコメントして頂くかお題箱にでもぶっこんで頂ければとっっっっても嬉しいです。

【お題箱】 http://odaibako.net/u/same_____29

 

 今回も最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

 

 それではまたどこかで巡り会えたら。  さめを

2日目:よろしくねスピッツ―『楓』

 こんにちは、またお会い出来て嬉しいです。

 初めましての方もこんにちは。初めまして、さめをと申します。

 この『鮫日記』は、日本のロックバンドの「スピッツ」が好きなだけのどこにでもいる普通の女子高生の私が、徒然なるままに時々絵も挟みながら駄文を自分のペースで連ねていく…といった趣旨のブログです。「日記」と名乗っているのですが、毎日投稿を目指しているものではなく、書きたいときに書いて、自分のペースで投稿しています。

 前回のを読んで頂いた方には分かると思うんですが、当方、日本語オタクなので…歌詞の考察・解釈をするブログではありません。日本語や日本文学を個人的に研究してる身として、「ここがすごいんだよ!」「ここの表現が好き!」といったものをひたすらに書き綴る…といったものです。

 

 他人の自己語り、妄想、考察、、、あたりが苦手な方はここでブラウザバックをオススメします。

 

 

 前回語らせて頂いたのは、小学校で出会った――空も飛べるはず

 そして、今回は、あの『空も飛べるはず』でガーンとなった後に家に帰ってから、他にどんな曲があるんだろうと思って聴いて、「あ〜…これは沼だな」と確信した曲―――『楓』

 今も変わらず大好きな曲です。

 そんな、『楓』は、1998年3月25日リリースの8thアルバム『フェイクファー』、1998年7月7日リリースの19thシングル『楓/スピカ』、1999年3月25日リリースのスペシャルアルバム『花鳥風月』、これらの円盤で聴くことができます。あと、YouTubeでも聴けます、便利な世の中になりましたね〜↓

https://https://youtu.be/YapsFDcGe_s

 他にも、2022年に放送されたドラマ、『silent』の挿入歌に起用されるなど、…え……されてたんですか!?…ウワ…し、知らなかった…………悔し……ちゃんと見とけば良かっ…た(今更) ま、まぁ…そのね、現在も多くの人に愛されていますよ、って事です。……お恥ずかしながら、私は『silent』を見てなかった訳なんですけども。妹が見ていたのを時々横目にチラッと………程度で…『魔法のコトバ』が流れるシーンは見たんですけどね、たまたま笑 それだけだと思っていたら、まさか『楓』まであっただなんて!!?教えてくれよ〜妹〜〜!!(※妹はスピッツをよく知らないのでそもそも…笑)

 プリンの手話は妹がすごい言ってたので分かります!一時期、おそらく『silent』で出てたやつなのかな?色々手話クイズを妹に出題されてて困惑してました…笑 「うるさい」はよく出題されてました、クイズというか…特に会話で。べらべら私が語ってると毎回しつこいくらいやってくるんですよねぇ…聞いてきといて何なんだ、ちょっと腹立つな、と思いながら笑

(※今さっき急遽裏紙に描いたもの)

 

 "間接的な"日本語オタクの私が好きな修辞法(レトリック)は、暗喩撞着語法擬人法の三点セットです。めちゃくちゃな持論ですが、この3つは日本語が一番輝く瞬間だと思っています。日本語の良さを最大限に活かせる修辞法です。…と言う話は前回もしましたが、他に挙げるとですね…反復法も好きですね。

遠く遠く あの光まで 届いてほしい

明日 君がいなきゃ困る困る

(『スターゲイザー』)

この「遠く遠く」と「困る困る」なんかが反復法になります…結構草野さん使っていますよね。あと、緩叙法列叙法も好きですね〜、回りくどいの大好きです!笑

 

 撞着語法大好き人間として外せないのは、もうここですよね。そう、

瞬きするほど長い季節が来て

ここです、ここ…オタク、ここ好き……大好き…永遠と一瞬の儚さを結びつけたものほど素晴らしいもんはねぇんだよ(泣)

 『楓』で一番描かれてるのは「時間」だと思うんです、私はね。「時間の流れ」だったり、「時間の幅」だったり…そのね、「時の流れ」を1番描きやすい(と私が勝手に思っている)のは、列叙法です。「雨は地面に染み込み、川を流れ、海へ行く」みたいな、順番順番に表記していくものです。光景も同時に浮かびますし、良いですよね…ただ、実はこれ『楓』の歌詞にはありません!これの別に弱点ではないんですけど(むしろ強み)、特徴の一つとして、一つ一つ辿っていくんですよ。双六のコマを一つ一つ進めるようにね。だから、細かく手順を踏んでるイメージなんですよね。「流れ」は掴めても、その細かさ故に「幅」はちょっと掴みにくいんですよね。『楓』はさよならの、別れの曲ですし、「君」と過ごした"昔"を思い浮かべて喪失感みたいなものに浸ってるような感じ………"今"と"昔"の間にある「距離感」が大切だと思うんです。そう、だから、「流れ」ももちろん大切なんですけど、それ以上に「幅」が大切なんです。

 

 『楓』って、楽譜適当に検索してもらってメロディーライン見て頂くと分かると思うんですけども、平坦な長い大きなまとまりというか、大きな流れになっているんですよね。もちろん盛り上がるところはちゃんと高くなっていくんですけども、変動が少ないというか、パイプオルガンで弾くような…フレーズ一つ一つも長いし、音自体も長い音が多いんですよね。音の長さは、直接的に聴き手の「時間の長さ」に影響を及ぼします。

かわるがわるのぞいた穴

呼び合う名前がこだまし始める

特徴的に挙げられるのはここらへんですかね…。「かわるがわる」「こだまし始める」、これらの言葉が与える印象に、「時間の幅」があるんですよ。

 なぜなら、「かわるがわる」つまり、「変化」には必ず時間を要します。ただの一回の変化ではなく、短編的な変化が沢山ある、コロコロと変わっているイメージ。素早い動き、この、覗いてる主体は同じ場所をじーっと見つめている訳ではないので、そこに物理的な距離があります。そして「こだま」、まあ、分かりきってるとは思いますが、「こだま」って「やまびこ」です。やまびこが起こるには距離が必要です。これらの物理的な距離が歌詞となった結果、「時間の距離」になっているんだと思います。

 あと、歌ってみれば分かるんですけど、ここ結構伸ばしますよね。…しかも音程あまり変わらない。「か〜わる〜が〜わる〜のぞ〜いた〜穴から〜♪」って。「よび〜あう〜なま〜えが〜こだ〜まし〜はじ〜める〜♪」って。長さが直接「幅」を表せられるんですよね。これは文字だけの詩では出来ない表現ですよね、歌だから、音楽だから出来る特別な表現だと思います。

 

 ここでちょっぴり、「楓」という植物にも注目してみます。題名をつけるって事は、何か意味があって、基本的にすごく考えて付けられてると思うんです。

 「楓」の花言葉ご存知ですか?私は、調べてみて初めて知ったのですが、

・調和

・美しい変化

・大切な思い出

・遠慮

…など、らしいです。なるほど、それっぽい…って感じしませんか笑

季節の変化によって美しく移りゆく楓の葉、紅葉狩りという言葉があるように古来から日本人に親しまれていた植物ですよね。漢字でも、風がつくように、楓の種は風任せ、自然任せですよね、なりゆきで生きているような…竹とんぼのようにくるくる回って可愛らしげに落ちていきます。

 

 あとですね、ここですね。印象的ですよね。

さよなら 君の声を抱いて歩いていく

ああ 僕のままでどこまで届くだろう

 ここ、良いですよね。"声を抱く"っていう表現…本来「声」というものは「抱く」ことは出来ないもの。つまり、何かの比喩、暗喩であるはずです。私は「記憶する」、「覚えていること」だと思います。

 「声」っていうか、「音」って一番最初に消えてしまう記憶らしいですよ。五感の中で一番最初に消えてしまうのは、「聴覚」なんですって。そう思うと、いつまでも記憶に残る「音楽」を作れる方々ってすごいんですね。あ……確かに言われてみれば私、4年前に亡くなったおじいちゃんの声、もう忘れてしまっています。顔とかは全然覚えているんですよ、ちゃんとありありと思い出せます。でも、もう声は思い出せないです。なんだか寂しいですね。忘れたくて忘れた訳じゃない、むしろ忘れたくなんてないのに。…つまりね、「音」が記憶から消えてないって事はその人の事、きっと全部まだ覚えているって事なんだと思います。「君」のことを、全部全部ずっとずっと覚えていようって決意なのかなぁ…なんて思ったわけです。

 「抱いて歩いていく」って表現なんですけど、この「僕」は「君の声」を「背負ってる」訳じゃないんです。「背負う」って言うのは、「負」から、負担とか、言葉として"マイナス"のイメージを受け取ります。でもね、重すぎたら、忘れようと思えば、手を離そうと思えば、離せるんです、「抱く」って言うのは。重すぎたら自身が潰れてしまう「背負う」とは違うんですよね。一種の義務のような強制的な「背負う」とは違って、自らその運命を選択している訳なんですよ、「抱く」って言うのは。

 そして歌詞の本当に一番最後は

ああ 君の声を

、となっていて、最後のフレーズのみ動詞がありません。結局、この「僕」は君の声をどうするんでしょうか。このまま、繰り返している通りに「抱いていく」んでしょうか、それとも「離して」しまうんでしょうか……きっとここは、草野さんが聴き手の解釈に任せたんでしょうね。

 

 

 今回はこのあたりでいかがでしょうか。私の、こんなただのスピッツ兼日本語のオタク語りで、何か新しい発見なり楽しさなりを見つけて頂けたなら本望です。今回も楽しく草野さんが紡ぐ言葉たちの「ここが大好きポイント」をだらだら綴ったわけですけども…笑

 ついでに日本語の魅力にも気付いて頂けたら最高に嬉しいです!

 

 次回の曲はまだ特に決めていません。何にしようかなぁ…なんて。

 

 「この曲、日本語オタク的にどう思っているのか知りたい!」みたいなリクエストや簡単な感想でも長文の感想でも…あればコメントして頂くかお題箱にでもぶっこんで頂ければ嬉しいです。お題箱の場合は、イラストのお題との区別のために最後に「(鮫日記)」と付けるとか何でも良いんで分かるようにして頂ければ!

【お題箱】 http://odaibako.net/u/same_____29

 

 今回も最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

 

 それではまたどこかで巡り会えたら。  さめを

1日目:初めましてスピッツ―『空も飛べるはず』

 こんにちは。初めまして、さめをと申します。

 日本のロックバンドの「スピッツ」が好きな普通の女子高生の私が、徒然なるままに時々絵も挟みながら駄文を自分のペースで連ねていこうと思います。

 

(※過去絵の中でも割りとお気に入りの草野さんです。)

 

 

 他人の自己語り、妄想、考察、、、あたりが苦手な方はここでブラウザバックをオススメします。

 

 

 今回は、初めての投稿ということで私とスピッツとの出会いとかそのあたりを…

 

 

 私がスピッツと出会ったのは、忘れもしない2017年、小6。

 小学校の謎文化「今月のうた」に選ばれた―――空も飛べるはず

 ヤバい、思い出しただけで泣きそう。叶うことならあの時の衝撃、もう一度喰らいたい。戻れるのならば戻ってみたい、あの頃。何も知らなかったあの状態でもう一度聴きたい曲がそれはそれは沢山ありますね。

 皆さんが何も知らない状態で聴きたいなって思う曲ってなんですか?私は、最推しアルバムの『とげまる』を何も知らない状態で聴きたいですね。

 「今月のうた」とは何ぞやという人(大半がそうだよ)のために説明するとですね、毎月の全校集会の時に全校生徒で合唱をするという文化があったんですけど、その曲です。名前の通り、月替りです。

 

 当時というか、今もなんですけど、私、本の虫ちゃんでして…いや、今は「本の虫」は名乗れないかも。今は…読書好きというより、文学好き、かな。う〜ん、、、最近は本を読むことっていうよりも、好きになった本の論文漁ってますね。色んな解釈に触れたくて。GoogleScoLar様様です。まぁまぁ、これは置いといて、とにかく、今の読書量よりも、比にならんくらい本に浸っておりまして。年間400冊は読んでましたね〜〜すご〜い(他人事)

 それはそうとて、小学二年生の時に唐突に古典文学に激ハマりしまして…、意外と読んでみると面白いんですよね。小学二年生の女の子が学校図書館の古典漁ってる図……中々シュールでは……笑 好きな古典作品は宇治拾遺物語です。説話が基本的に好きですね。

 話が若干逸れたんですけども、結局、何が言いたいかって言うと、私は、古典だろうが現代の小説だろうが、日本語が好きなんです。日本語って素晴らしい言語です。私、日本人で本当に良かったなぁって思います。

 

 言語で優劣つけるとかじゃないんですけど、英語とかけっこう直接的じゃないですか。文法というか、語順も型として決まっちゃっているというか。日本語って英語に比べたらもう、それはそれは自由だし、間接的ですよね。…私は、その間接的な部分が好きなんです。それが嫌いって言う人もいらっしゃいますが。まぁ、あの、だから、歌詞でも文学でも詩でもなんでも、その"間接的なところ"にときめいちゃうんですよねぇ。「美しさ」一つとってもその表現の幅広さ、「汚さ」、逆も然り。

 …まぁ、言っちゃえば、私的にはね、日本語の魅力(=間接的なところ)を出せてない日本語の文章は好きになれないって訳ですよ。あんまりにも直接的だったりすると、せっかく日本語なのに〜〜〜って、…そんな感じ、です笑

 もちろん直接的な部分も大事になりますよ。ずっとぼやかして言ってても「結局こいつ何が言いたいんだ?」ってなるので。私ももちろん、流石にね、全部ぼかされてる文章はじれったいので…こう、ハイライト的に使って欲しいんですよね、直接的なのは。

 

 前置きが長くなりすみません。

 まぁ、そんなね、"間接的な"日本語LOVERが、「スピッツ」という多大なる存在に出会ってしまった訳ですよ。ハマらないわけないですよね?分かってくれますよね?…ね(圧)。

 『空も飛べるはず』の歌詞書かれた紙が配られるじゃないですか、心臓止まってたんじゃないかなぁ…こんな素敵な言葉遣い出来る人がいるんだ!って。音源聴くじゃないですか、心臓バックバクだったんじゃないかなぁ…なんて素敵な声なんだ!って。

 当時ね、『空も飛べるはず』がその時から20年以上前の、自分が産まれる10年以上前の曲だったことにすごく驚きました。全然古さを感じないんだもの!だって、ねぇ…90年代なんて言ったらさ、KANの『愛は勝つ』とか、米米CLUBの『君がいるだけで』とか、広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』とか……現役女子高生からするとこの辺りは時代というか、"古さ"みたいなものを感じてしまうんですけど、大人の皆様だとそんなことはなかったりしますか…?

 

 題名の通り、今回語らせて貰うのは『空も飛べるはずです。5thアルバム『空の飛び方』に収録されています。

じゃ〜〜ん!中古!状態めちゃくちゃ良いのになんと680円!びっくり!

(※反射での顔バレが怖いので歌詞カードのみで笑)

黄と青のコントラストが良いですね〜!黄×青の組み合わせが一番好きです。

 

 

 あ、先に説明しておきます。これは、私の持論にしかすぎませんし、基本的にはここは歌詞考察ではありません。日本語オタク的にここ好き!みたいな感じのノリです。当方、多趣味を極めているため教授かよってくらい話も色々脱線すると思います。歌詞の中のその単語が与える印象だったり色々言いたい放題言っていきます!まぁ、そういうくだらない話を読みたいという方に読んで頂けたらな、と!

 

 まずね、スピッツって日本の音楽史にえげつない影響を与えたと思うんですよ、絶対。ここだけは譲らん!!(誰)

 

 スピッツの登場ちょっと前、70年代あたりの歌詞って結構…直接的じゃないですか。恋愛ソングにしても「君が好きだ!」みたいな。「好き」は「好き」と歌うし、「悲しい」は「悲しい」と歌う。とってもダイレクト。まぁ、70年代のその当時としては、そこが良い!って言う訳なんですけどもね。スピッツがその波を変えたなって思うんですよ、私は。…私は。

 あの〜これは、批判とかじゃないんです…ほんとに。心優しく聞いて下さい。そう、これにはこれの良さがあるし、当時の世間だってそれを認めてる。それが当時の流行り。あくまでも比較の材料として中島みゆきさんの『時代』の出だしを…↓

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて

もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

…そう、だいぶ直接的ですよね。これがその当時の流行りでしたから。「悲しみ」をそのまま「悲しくて」と歌う。「涙」も「涙」と表現する。THEそのままな感じ、ストレートで力強さを感じます。そうです、直接的な歌詞は、そのままドーン!と力強く伝わるんですよね。だから、力強い歌声の中島みゆきさんにはやっぱりこういう直接的な方が似合うのかなぁと思います。

 

 これが、草野マサムネが綴ったらどうなるんだろうかね。いつか マサムネ〜〜〜〜!!!!!!(呼んだところで来ないよ)

 では、こちらに、さめを's 脳内マサムネを召喚致しまして、私が勝手に妄想で綴ります(なぜ)

「美しかったはずの草原を砂漠にして ラクダの君を呼んだから どこだってオアシスだった 僕をもう一度だけ満たしてほしい」

…みたいな感じになるんですかね。

あ、待っ……ちょっと…これ、あれだ、明日辺りには恥ずかしくなってるやつだ、これ、忘れてください笑

 

 

 本論行きます!!(遅)

 

 『空も飛べるはず』は1994年4月25日リリースの通算8作目のシングルで、世間的に「スピッツ」と言えば、

・『ロビンソン』

・『チェリー』

・『空も飛べるはず

のこの三本指…ですから……有名ですね。最近、『美しい鰭』がここにスッと入り込んできて、歴史変わってるじゃ〜〜〜んって瞬間に立ち会えて、もうね、それは感動ですよ。たかが、ブリーダー歴?犬養歴?スピッチ歴?まぁ、何でもいいや、スピッツ好きになってまだまだ6年の新参者なんですけども。どうぞよろしくお願いします。新参者でも感動なのに、これがさ、インディーズ時代からとかデビュー当時からとか好きだった方とか、もう、何だろう…我が子の成長みたいなの見てるようなもんじゃん…ね……おめでとうございます…ご祝儀なくてすみません(??)

(※当日におめでとうございますの気持ちを込めて描きました、10分未満で(=とんでもねぇ落書き))

 

 今後もしつこいほど言うかもしれないんですけど、私が好きな修辞法(レトリック)は、暗喩撞着語法です。あと、擬人法も好きですね。この3つの修辞法は、日本語が一番輝く瞬間だと思っています。(※めちゃくちゃな持論)

 

 よいしょ、では早速!私が『空も飛べるはず』の中で最も好きなところですね。ここです。これが語りたくて書いたのはある。

切り札にしてた見えすいた嘘は

満月の夜にやぶいた

 そう、ここのね、すごいところというか、私が小6ながらに、草野正宗という詩人の語彙力と言葉の織り合わせに感動したポイントなんですけども。「切り"札"」から、"紙"を連想し、「やぶいた」という表現です。この曲だけに言えることじゃないんですけど、草野さんが作るこの連想ゲームが私はとても好きです。「破る」って元の状態には戻らないじゃないですか、もう。だから、こう〜…強い決心!みたいな印象受けますよね(突然の語彙力の消失)。

 そして、ここで「満月」という言葉を用いることで、狼男のような、そう、「変身」の印象を与えられますね。主人公「僕」は、ここから決心して変わったってことなんじゃないかなぁって思います。

 それか、「満月」ってここからはもう、小さくなって、新月に向かって、消えてくしかないから…破滅の道、みたいな意味でもそれはそれで良いですね。心中目的の『君』と『僕』との逃避行、みたいな意味でもすごく良いなぁって思います。「隠したナイフ」ですし、『空も飛べるはず』ですし、確かにそれっぽい言葉とかそれっぽい要素は散りばめられてはいるんですよねぇ…小学生の頃は流石に思い浮かばなかったけど。

 どこかで本人が言ってるのがあったりしたら、これを読んでいる心優しきスピッチさん、良かったら教えてください。私、現役高校生とは思えないほど情弱でして…しかも、『空も飛べるはず』って私が産まれる11年も前の話ですしゴニョゴニョ(言い訳)

 

続いてこちら、

ゴミできらめく世界が

僕たちを拒んでも

ずっとそばで笑っていてほしい

 はい、撞着語法〜〜〜〜!!!!ゴミできらめく!!!ゴミできらめく!!!(うるさい)

 最高ですね!好(ハオ)!!!

 それに、世界が拒む、擬人法もありますね!!!

 …私的に、ここの一節はすごく可愛らしい印象を受けます。

 あの〜…梶井基次郎の『桜の樹の下には』でもそうなんですけど、私、汚い中にある美しさっていうのがめちゃくちゃ好きで。まぁ、この『桜の樹の下には』は今まで読んだ本の中でそういう意味では、一番好きですね。蠢く気色悪さの中で輝く圧倒的な美!悍ましく美しい…っていう、最高!艶かしいぜ!!薄羽かげろうの屍体の場面が私は個人的に好きでですね…「生」と「死」、「醜」と「美」は両極じゃなくて、「生」があるから「死」があって、「醜」があるから「美」がある…みたいなね。結構短い話で、著作権切れてて青空文庫で無料で読めるので良かったら読んでみて下さい。(布教)↓

https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html

 

 「ゴミできらめく」に、『桜の樹の下には』の文章ほどの気色悪さを感じるほどでもないのはやっぱり簡単な日本語であるからだと思います。『桜の樹の下には』は、屍体ですからね笑。この、『空も飛べるはず』の世界に、「スピッツ」の世界に、そういう臭いがあるほどの汚さは要らないんですよ。薄汚れたガラクタがデタラメに転がっている、みたいな、そんな感じで…いや、そんな感じが良いんです。「きらめく」が入ることで、大型の金属の塊のようなものがゴロゴロ…ビル?都会かな、この社会そのものかな、まぁ、取り敢えず「僕たち」には価値がないんですかね。やっぱりそう考えると、さっき書いたように心中目的の逃避行…割とあるのかも、しれない。

 草野マサムネ語って、単語単語で切ってみると、すご〜く易しい日本語を使ってくれているんですよね。難しくないから、私にだってその光景が浮かぶし、語りすぎないから自由な発想を飛ばせるし、なんたって分かりやすい。聴き手が自由に発想出来るのは良いですよね!なかなか無いです。具体的すぎず、抽象的すぎず、すごく丁度良い、自分に寄り添ってるようなピッタリのものが絶対にあるんですよね。

 なので、二次創作カップリングのイメソンを血眼で探してるオタクどもに言いたいんですけど、スピッツの楽曲一回、時間なかったらさ、歌詞だけでも良いからさ、見てみ?それで気になるのあったらさ、聴いてみ?マジでぴったりなやつ絶対あるから。…俺が保証してやるからよ(※バチクソなイケヴォ)

 そんなね、分かりやすくてさ、とても易しい日本語だけど、その組み合わせが私たちには出来ないから素晴らしい歌詞になるんでしょうね。本当の天才は、アホにも分かるように書けるって本当なんだなぁと。天才同士でしか通じない文は、天才の文ではないんですよね。凡人にも通じるっていうのが一番すごいなと思います、つくづく。

 

最後にここだけでも!

夢を濡らした涙が海原へ流れたら

ずっとそばで笑っていてほしい

 巡ってますね〜水ですね〜草野マサムネの水の描き方は世界一だと思います。水がテーマとなったとき、もう最強でしかなくなるんですよね。『渚』もそう。『魚』もそう。『漣』もそう。『潮騒ちゃん』もそう。挙げてくとキリがないな。取り敢えずね、最強コンビネーションなんですよ、草野マサムネ×水っていうのは…

 そして、輪廻。還る場所はいつだって誰だって、母なる海。水、氵(さんずい)のオンパレードで言葉を紡いで、世界が繋がって、繋がって、広がっていきます。ただ、意味を伝えるだけなら「海原」なんて入れなくたって良い、十分に通じる。むしろ入れない方が「泣いたんだな」ってすんなり行くのでは…?とも思う。でも、この「海原」を入れることで世界が一気に広がるのもそうですが、私が思うには、これ、「時間」への意識…だと思うんですよね。山で降った雨が、様々な生き物を通じて様々な場所へ、川へ、湖へ、植物へ、体内へ、地面へ、また蒸発して雲になるかもしれない、そして、その最後の何にでもなれる場所、海に辿り着くまでにどれだけの時間を要すか、です。

 

 

 …どうでしょうか?ただ日本語が好きなだけの人が、草野さんの歌詞の「ここが大好きポイント」を語っているだけなんですけども楽しんで頂けましたか?私は書いてて楽しいんですけども笑

 

 

 私は、草野さんの作る詩に出会ってからもっと、もっと、日本語が大好きになりました。

 

 

 少しつまみ食いするイメージで、これからも草野マサムネさんの詞を自分なりに楽しく綴っていけたらなぁと思います!思い浮かんだことのメモ程度の気楽さで!メモの割に長文なんですけども!笑

 

 次回は、『空も飛べるはず』で衝撃を受けた私が家に帰った後、聴いて入沼を決心した曲にしようかなって思っています。こちらも有名です、また見て頂けたら嬉しいです。

 

 ダラダラした駄文を最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

 

 それではまたどこかで巡り会えたら。  さめを