鮫日記

男もすなる日記といふものを、スピッツオタクもしてみむとてするなり。

5日目:"一人ぼっち"スピッツ―『涙』

 こんにちは、またお会い出来て嬉しいです。

 初めましての方もこんにちは。初めまして、さめをと申します。

 この『鮫日記』は、日本のロックバンドの「スピッツ」が好きなだけの普通の女子高生の私が、徒然なるままに時々絵も挟みながら駄文を自分のペースで連ねていく…といった趣旨のブログです。「日記」と名乗っているのですが、毎日投稿を目指しているものではなく、書きたいときに書いて、自分のペースで投稿しています。

 周りの人より少しだけ日本語が好きな、スピッツオタクが綴っているだけです。歌詞の考察・解釈を中心にするブログではありません。日本語や日本文学を研究してる身(日本文学・文化の比較研究を行うゼミに所属しています)として、「ここがすごいんだよ!」「ここの表現が好き!」といったものをひたすらに書き綴る…といったものです。書き綴っていく過程で考察・解釈が出てしまうところはあるとは思いますが、その目的ではないので考察・解釈が読みたい方は別のブログへ飛ばれることをオススメします!

 また、他人の自己語り、妄想、考察、、、あたりが苦手な方はここでブラウザバックすることをオススメします。

 

 

 今回は――『涙』

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 選考理由としては、1日目:初めましてスピッツ―『空も飛べるはず』 - 鮫日記 でも書いたんですが、"間接的な"日本語が大好きな私が様々な修辞法(レトリック)の中で特に、特に大好きなのは「撞着語法」「暗喩」「擬人法」です。2日目:よろしくねスピッツ―『楓』 - 鮫日記 で、少し出した通り、私は、この3つにさらに加えるならば「反復法」「列叙法」「緩叙法」が好きなわけです。…『涙』での修辞法が、特に暗喩が、私的に…もう、ほんとに、えげちぃ〜ほど好みなんですよ!色んな雰囲気の暗喩があるとは思うんですけど、めちゃくちゃすんなりというか、とにかく大好きなんですよ。それを語りたく、5日目の『鮫日記』に選びました!

 そんな『涙』は、1992年4月25日発売のミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』に収録されています。聴けば余裕で分かるんですけど一応ね…この曲にはメンバーの演奏はありませんチェンバロなどの弦楽器と草野さんのボーカルで構成されています。

 

 

 初っ端ね、

君のまつ毛で揺れてる水晶の粒

本当は一人ぼっち

壁に書いた緑色のドアをあけて

広がる時の海

このね…「君のまつ毛で揺れてる水晶の粒」ってところよ!「壁に書いた緑色のドアをあけて広がる時の海」ってところよ!

 「君のまつ毛で揺れてる水晶の粒」は、多分、誰にでも分かりやすい暗喩ですよね。そう、涙です。ここに関してはそれ以外の解釈出来ないんじゃないかなぁと思います。小学校で暗喩って扱うっけ?まぁ、中学校では絶対に習った記憶があるぞ、「暗喩」。その、暗喩の例文として使えるレベルだと思うんですが!すごく、THE暗喩って感じ。

 私、日本語以外に心理学も好きで…というか、文学と心理は切っても切れない関係なので学んでく過程で好きになってしまったって感じなんですけどね笑。作家の生き様もほんと面白くて…人間って面白い生き物だなぁって。それに、私は絵を描くことが趣味でもあるので必然的に「色」というものにも意識を向けるわけですよ。だから、私は、心理学×色って面白いなってすごく感じるんですけど。「色彩心理学」って言うんですけどね。それで、歌詞に「壁に描いた緑色のドアあける」ってあるじゃないですか。このドアは結局何を表しているんだろうって考えたんですね。緑って心理学的には「リラックス」の効果がある色と言われていて、それは「自然回帰」の欲から生じた…な〜んて言われているわけなんですが。

 そして、日本文学において、ドアや襖など空間と空間を隔てていたものを開ける行為って、すごく意味を持つんですね。例えば、宮沢賢治の『注文の多い料理店』だったり、夏目漱石の『こころ』だったり…。日本は「ウチとソト」の文化なんて言われるんですけど、家や地域など自分との繋がり…所属意識みたいなものにあるものなんですけど、その結果、空間意識にも「ウチとソト」があって、国や村を"ウチ"、それより外が"ソト"みたいな広い区分から、家や自分の部屋など狭い区分もあるわけです。広く見れば"ウチ"でも狭く見れば"ソト"になったり…"ソト"っていうのは"穢れ"だったこともあり、そこから"距離感"意味したりするんですけど。まぁ、扉を開けて出るというのはウチからソトへ出ていくわけですから、文学的な表現においては心理的にソトに出ていく、つまり、自身の解放だったり、禁忌だったり、自分ではない"ソト"、"相手"の欲求などを意味している場合が多いのですが、心理と文学ってものすごく関係が深いと思います。そんなわけで、文学的には「扉」ってすごく大切な存在なんです。

 前情報はこれくらいにして、「自然回帰」の緑、自己の解放の象徴である「扉」…その先の「広がる時の海」。「壁に書く」という行為は自分で書かなければないわけですから、自分自身でそう決めたということになります。「本当は一人ぼっち」の主人公は、自分自身で扉を作って、自分自身で扉を開けて…という、行動全てに意志があります。自らの意志で行った行動の先にあるのが「時の海」です。私、草野さんが描く「海」像って、「各々が帰る場所」だと思ってるんですね。輪廻の場所。スタートの場所でもあって、ゴールでもある。「時」っていうのも良いですよね、何千年の人間の歴史には必ず海がありましたから。…そう解釈すると「死」がどうしてもチラつくんですよね……。

 

 そして、サビ部分なんですけども、

だけど君はもう気づきはじめるだろう

変わりゆく景色に

月のライトが涙でとびちる夜に

そして君はすぐ歩きはじめるだろう

放たれた魂で

月のライトが涙でとびちる夜に

だけど君はもう気づきはじめるだろう

変わりゆく景色に

そして君はすぐ歩きはじめるだろう

放たれた魂で

月のライトが涙でとびちる夜に

このね…「月のライトが涙でとびちる夜」っていう、この表現がとても、とても良いなって思うんですが!最高じゃないですか、これ。

 皆さん、泣いたことありますか?(唐突すぎ) んまぁ、ないって人はおそらくいないと思うんですけど。我々はオギャった瞬間泣いてますし…。この「月のライトが涙でとびちる」っていうのは、泣いている時の視界だと思うんですよ。いや、まぁ、「涙」ってあるんだからそりゃそうだろって感じではあるんですけども、、涙で目が潤んでいる時に、信号機でも蛍光灯でも何でも特に「光」を見ると、ぼやけるというか、放射状ではないんですけど、こう…縦にぺや〜〜っと(???)伸びるじゃないですか!気になったら、今あくびするなり目薬さすなりしてみたら分かると思うんですけどね、「ぼや〜〜」ほどぼかしは入ってないじゃないですか。「ぺや〜〜」って感じじゃないですか。「ぼや〜〜」よりもハッキリしてるぼやけ。…まぁ、擬音語が何かは置いといて、「月のライトが涙でとびちる」っていうのはそれじゃないかな!って思っていて。ここを、こう表現できるのはさすがだなぁと思います。「月光」と言わず、「月の光」とも言わず、「月のライト」。カタカナにすることで、カタカナが与える特有の硬さから滲み出る人工物感…無機質な感じ…。「君」という、生物特有の温かさとの、温度差がすごく良いなぁって思います。

 

 

 

 今回は若干短めではありますが、このあたりでいかがでしょうか。私の、こんなただのオタク語りで、何か新しい発見なり楽しさなりを見つけて頂けたなら本望です。今回も楽しく草野さんが紡ぐ言葉たちの「ここが大好きポイント」をだらだら綴ったわけですけども…笑

 ついでに日本語の魅力にも気付いて頂けたら最高に嬉しいです!

 

 「この曲、日本語オタク的にどう思っているのか知りたい!」みたいなリクエストや簡単な感想でも長文の感想でも…あればコメントして頂くかお題箱にでも入れて頂ければとっても嬉しいです。

【お題箱】 http://odaibako.net/u/same_____29

 

 今回も最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

 

 それではまたどこかで巡り会えたら。  さめを